王義之から空海へ 大阪市立美術館
Category: 日記
とにかく有名人の書が沢山見れました!
本年大阪市立美術館は開館八十周年ということで、大盤振る舞いです。
歴史の教科書で見かけるような書がバンバン気前よく登場しています。
王義之や歐陽詢、宋代の蘇軾、米芾、文徴明、祝允明、王鐸、傅山等々
ほとんど実物~♪
※王義之の 真蹟はありません、「蘭亭序」という王義之の傑作を
臨書(手本を元に模した書)、をさらに下敷きにして模刻した碑、
の拓本(法帖)が出ています。
臨模しているのは褚遂良などの有名書家ですから、それもまた
非常に素晴らしいものです♪

<褚遂良の 「聖教序」”大唐三蔵聖教之序”の摸刻、薬師寺>
◆褚遂良は唐の太宗に重用され中書令(官僚のトップ)まで上り詰めましたが、
次の高宗からは冷遇されベトナムまで流され、異境で亡くなった不遇の人です。
(一説では武側天の立后に反対したから、とされます)
真面目で融通の利かない性分だったのかもしれません…
書は、端正でバランスがとれ、楷書のお手本中のお手本とされます。
次の部屋には宋代の黄庭堅、蘇軾、 米芾 があります。
◆蘇軾は同時代の黄庭堅よりやはり感情の起伏、振幅がわかる感じの書です(#^.^#)
蘇軾は「春宵一刻値千金」を詠んだ超・有名詩人ですね。
政治では旧法派と呼ばれる派閥であり、政争に負けたので新法派に流罪されます。
政権が変わった後、旧法派リーダーの司馬光に招かれて復帰するのですが
「新法でも良いところは取り入れましょうよ」
と言ってまた反感を買い、煙たがられすぐ地方に飛ばされちゃう人。
保身とかあんまり考えない。挫折が多いというか、人生山あり谷ありという言葉が似あう。
僻地に飛ばされてもフグやライチの詩を詠んでみたり、「東坡肉」を作ったり。
順境なときだけでなく逆境でも楽しみが見つけられる人です。
62歳で赦されて、海南島(今は行楽地ですが当時は最果て)から戻る途中で詠んだ歌、
杳杳天低鶻沒處、青山一髮是中原。
(天が下がりハヤブサが没するぐらい遠い、かすかに見える髪一筋の青い山、これこそ中原だ!)
すごく喜んだにもかかわらず、結局都を目前にして病で亡くなります。。。
展覧会では蘇軾が米芾のもとから携え帰った「紫金研」という名硯について
米芾がやっぱり返してほしい、なんて書いた交友がわかる手紙が出てます。
その隣が元代
◆趙 孟頫、この人は宋の王室(趙家)の出身でいながら、元(異民族国家)に
仕えたということで、同時代、後世も、無節操、裏切り者と誹りを受けた人です。
藤田東湖は書を臨書していて二朝に仕えた人であると知った途端破り捨てた
という逸話まであるほど。
でもこの人が元に仕えたおかげで宋の文化は守られて、様々なものが継承
されたということで近年再評価されています。
友人に宛てた手紙には、「辞めることは許されないし、いつも南(南宋のある方角)
を望むとふと涙があふれ出てしまうのだ」と、複雑な心境を吐露しています。
色々大変だったのでしょうね。
王義之の書に倣い、時には超えるとされる素晴らしい楷書は、異民族国家
に仕えながらもきちんと宋の文化、伝統を守ろう、という強い意思が
垣間見える感じです。
いろいろ想像しながらめぐると、楽しいけどやたら時間がかかるのが難点です。
日本の書も空海をはじめ、三筆や三蹟、良寛や一休など色々出てました。
一々感想を書くとキリがないためこの辺で。
本年大阪市立美術館は開館八十周年ということで、大盤振る舞いです。
歴史の教科書で見かけるような書がバンバン気前よく登場しています。
王義之や歐陽詢、宋代の蘇軾、米芾、文徴明、祝允明、王鐸、傅山等々
ほとんど実物~♪
※王義之の 真蹟はありません、「蘭亭序」という王義之の傑作を
臨書(手本を元に模した書)、をさらに下敷きにして模刻した碑、
の拓本(法帖)が出ています。
臨模しているのは褚遂良などの有名書家ですから、それもまた
非常に素晴らしいものです♪

<褚遂良の 「聖教序」”大唐三蔵聖教之序”の摸刻、薬師寺>
◆褚遂良は唐の太宗に重用され中書令(官僚のトップ)まで上り詰めましたが、
次の高宗からは冷遇されベトナムまで流され、異境で亡くなった不遇の人です。
(一説では武側天の立后に反対したから、とされます)
真面目で融通の利かない性分だったのかもしれません…
書は、端正でバランスがとれ、楷書のお手本中のお手本とされます。
次の部屋には宋代の黄庭堅、蘇軾、 米芾 があります。
◆蘇軾は同時代の黄庭堅よりやはり感情の起伏、振幅がわかる感じの書です(#^.^#)
蘇軾は「春宵一刻値千金」を詠んだ超・有名詩人ですね。
政治では旧法派と呼ばれる派閥であり、政争に負けたので新法派に流罪されます。
政権が変わった後、旧法派リーダーの司馬光に招かれて復帰するのですが
「新法でも良いところは取り入れましょうよ」
と言ってまた反感を買い、煙たがられすぐ地方に飛ばされちゃう人。
保身とかあんまり考えない。挫折が多いというか、人生山あり谷ありという言葉が似あう。
僻地に飛ばされてもフグやライチの詩を詠んでみたり、「東坡肉」を作ったり。
順境なときだけでなく逆境でも楽しみが見つけられる人です。
62歳で赦されて、海南島(今は行楽地ですが当時は最果て)から戻る途中で詠んだ歌、
杳杳天低鶻沒處、青山一髮是中原。
(天が下がりハヤブサが没するぐらい遠い、かすかに見える髪一筋の青い山、これこそ中原だ!)
すごく喜んだにもかかわらず、結局都を目前にして病で亡くなります。。。
展覧会では蘇軾が米芾のもとから携え帰った「紫金研」という名硯について
米芾がやっぱり返してほしい、なんて書いた交友がわかる手紙が出てます。
その隣が元代
◆趙 孟頫、この人は宋の王室(趙家)の出身でいながら、元(異民族国家)に
仕えたということで、同時代、後世も、無節操、裏切り者と誹りを受けた人です。
藤田東湖は書を臨書していて二朝に仕えた人であると知った途端破り捨てた
という逸話まであるほど。
でもこの人が元に仕えたおかげで宋の文化は守られて、様々なものが継承
されたということで近年再評価されています。
友人に宛てた手紙には、「辞めることは許されないし、いつも南(南宋のある方角)
を望むとふと涙があふれ出てしまうのだ」と、複雑な心境を吐露しています。
色々大変だったのでしょうね。
王義之の書に倣い、時には超えるとされる素晴らしい楷書は、異民族国家
に仕えながらもきちんと宋の文化、伝統を守ろう、という強い意思が
垣間見える感じです。
いろいろ想像しながらめぐると、楽しいけどやたら時間がかかるのが難点です。
日本の書も空海をはじめ、三筆や三蹟、良寛や一休など色々出てました。
一々感想を書くとキリがないためこの辺で。
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