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補陀落山寺2

Category: 旅行   Tags: 補陀落山寺  渡海  

「金光坊」は戸惑いながらも、己に課されている期待を担い役目を全うしなければ…と思い、三月の彼岸の中日に、十一月の渡海を正式に発表しました。

これまで侍僧として渡海の儀式に七回出席した金光坊は誰よりも儀式に詳しかったので、関係者に順序次第を説明しました。

十七歳の弟子僧侶清源が傍らでそれを記録し、その姿は渡海の時に同じように記録を務めた二十七歳の自分に重なって見えました。

清源もまた自分と同じ運命をたどるのであろうかと考えると、痛ましい気持ちがこみあげてくるのでした。

fudaraku10286.jpg
<境内にたつ観音と地蔵菩薩>

発表した以上は、心構えをしなければなりません。

金光坊は、過去に渡海した上人たちの心情に思いを馳せました。

どういう思いで皆海を渡ったのであろうか。

fudaraku10284.jpg

<お堂の裏手にある山を登ると、渡海上人たちの墓標があります。道標がみつけにくいためか昼なお薄暗い森で人気はほとんどない、道もけもの道のよう…>

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一番最初、渡海の儀式に立ち会ったのは祐信上人でした。

祐信が渡海したのは四十三歳。

祐信と金光坊は同郷のよしみで二人は話す機会が多かったのです。

祐信は「自分には補陀落が見える、海の果てにはっきりと陸が浮かんで見える」と常より言っていました。

そうして渡海の日、祐信は青い光でも発するかに眼光鋭く金光坊に「お前もいつかやって来るがいい」と笑いかけて、まっすぐ南へ波濤の中を突き進んでいった。

今思い返すと、祐信の青い光を放った憑かれたような眼は、常人の眼とは違っていたのではなかったかと思われた。

祐信の渡海に迷いはなく、死に思いをめぐらすことはなく、同時にこの世での生にも感心無かったに違いない。

海の果てに見えていた補陀落浄土へただ渡っただけのことなのだ。

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<渡海の際、舟に積まれる手回り品、お経や数珠など>

それから十年経って、正慶上人の渡海があった。

正慶上人は小柄な体で皺だらけの顔だったが、慈愛に満ちた眼差しをしており、誰にも労りをを籠った言葉をかけ、寺内世間の尊崇は篤かった。

心の底に滲み通る噛んで含めるような訓戒をくれる正慶上人との別れは金光坊には堪らなく悲しかった。

正慶上人は、祐信上人と違い、補陀落の存在は信じておらず、渡海は海底に沈むことと考えていた。

「渡海は死ぬのでございますか?」と金光坊は師に訊いた。

正慶上人は「そりゃ、死ぬだろうよ。死んで海の広さと同じだけある広々とした海の底へ沈んで行く」と金光坊に言った。

「青海原で死ぬのはいいものじゃろうよ。いろんなうろくずの友達になる」そう付け加え屈託なく笑った。

実際に船出の時も平生と違わずにこにこしていた。

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正慶上人は、補陀落などないと思っていたにもかかわらず、なぜ補陀落渡海したのだろう?

考えられるのは、その頃天災地変が相次ぎ、京方面の争乱、地方でも殺伐な事件が後を絶たず、信仰心は地に落ちていた。

正慶上人はそれが悲しく、心のよりどころとして信仰をもって欲しいと、世の人の心を惹くために渡海したのではないだろうか?

その四年後に日誉上人が渡海した。

日誉上人は、平生でも風邪一つひいたら大変な騒ぎであったが、61歳を過ぎ持病の喘息がひどくなり、医者にかかっても効果はなく、どうせ病歿するくらいならと渡海をと思い立ったものらしかった。

清信上人は住職を務めている間に、信じていた人に裏切られる厭な事件にたて続けに襲われた。

それですっかり厭世癖に取り憑かれ、世を厭い、人を厭い、生きていく張り合いを失ってしまったのだ。

金光坊は年齢が近かったので清信と話すことは多かったが、清信上人の厭世感はぬぐえず、ふさぎ込む気持ちは何ものも救うことができなかった。

晩年の清信上人はもう仏というものを信じてはおらず、ただ心の底から死にたかったのでだ。

金光坊に補陀落山は見えることはなく、また世を厭い、人を厭う気にもなれず、落ち着いて海の底に沈むわが身を受け入れることも出来ず、静かで諦めきった境地にもなれない。

金光坊は発表後、読経三昧の日を過ごしたが、心の用意は何もできていないまま、とうとう寺を出なければいけないときが来てしまった。

===

長くなってきたのではしょると、金光坊さんは渡海上人として舟に載せられ、身動きできぬところに屋形をとりつけられるのですが、折あしく天候が悪く舟が壊れて板子一枚で海で浮いているところを見つかり、荒磯に一度引き上げられるのです。

金光坊さんが掴まった岩を「金光坊岩」と言います。

その時「助けてくれ」と言ったとか、にもかかわらず金光坊さんは結局再度舟に載せられ、屋形はしっかり船底にうちつけられてもう一度海に流されました。

金光坊の渡海後、その一部始終が伝えられたのか、補陀落山寺の住職が61歳で渡海するということはなくなり、何かで物故したときのみ、渡海と称して舟で送り出される習慣となりました。

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テーマ : 神社仏閣    ジャンル : 学問・文化・芸術
 2012_10_31


Comments

No title 

何かすごく悲しくて人間らしいお話ですね。

そうそう、奈良行きのお話ですが、主人が「やっぱり暖かいときにしようか」と言い出しました。
長時間の運転も心配らしく、もうちょっと近いところで様子を見てからと言います。

なので騒いで申し訳ありませんでしたが一応今回は無しと言うことで。
スズまま  URL   2012-11-01 20:04  

No title 

スズまま>

このお寺を訪ねたとき、住職さんご自身も「私も渡海上人たちの気持ちわからないですね~、本当のところ何を考えて何を求めたのでしょうか。いつか知りたいですね」と言ってたのが印象的です。

あっ、冬の奈良は寒くて日も短いから観光にはあまり向いてないです(逆に人気が少なくて良いと言う人もいるけど…)お堂は寒いし、移動も大変。
やはり春が良いですよ。「青丹よし奈良に都は咲く花の 匂うがごとく今盛なりけり」と昔人も言ってることですから
せれまま  URL   2012-11-02 22:06  

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