補陀落山寺 那智勝浦町

Category: 旅行   Tags: 補陀落山寺  補陀落渡海記  

那智山の麓には「補陀洛山寺」が建ちます。

児童公園の隣に、こじんまりしたお堂しか見えませんが、「補陀洛渡海」で知られる寺で、世界遺産に指定されています。

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補陀洛(ふだらく)とは古代サンスクリット語の観音浄土を意味する「ポータラカ」の音訳。チベットのポタラ宮などと同じですね。

中世から近世にかけて、南洋に存在すると信じられた「補陀洛山」のある観音浄土を目指して、この寺の傍らにある那智の浜から、渡海船にのり旅だった人は20人以上にものぼります。

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<渡海船>

平安、鎌倉の頃は欣求浄土のため往生せんとする人がこの寺を訪れ、寺は精進の場を提供し、渡海の儀式を執り行うのが役目だったそうですが、室町時代以降 補陀落山寺の住職が、61歳になると住職が渡海するという習わしが出来上がってしまったのです。

井上靖の「補陀落渡海記」ではその習慣にどうしても納得できず、違和感を覚えながらも渡海せざるをえなかった金光坊の心情が縷々と綴られています。

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金光坊がこの寺に来たとき、補陀落寺は寺名のとおり補陀落信仰の根本霊場であり、観音菩薩の浄土に往生せんと願うものが、生きながら舟に乗り海に出る「補陀落渡海」を司る寺となっていたが、住職が自ら渡海しなければならないという掟は無かった。

ただ信仰と縁の深い寺なので、住職の中からも何人か渡海者は出ているのだが、10名にもなるかならないぐらい。

金光坊は自分が必ず渡海しなければならないとは最初は考えていなかった。

ところが、たまたま近年三代続いて補陀落山寺の住職が61歳の11月で渡海することがあって、そのため何となく住職は61歳11月になると渡海するものだ、という見方が世間で出来上がってしまった。

61歳になった住職の金光坊も当然「渡海するものであろう」と世間から期待されていた。

金光坊が寺から出て巷を歩けば、生き仏として賽銭が降り注ぎ、その賽銭を拾う乞食がつきまとい、観音浄土まで携行してほしいと位牌など携えて来る人がドッと集まった。

金光坊は、若い頃よりこの寺で修業を積み、実直な人柄で人々の信望を集め、ついには住職までつとめることとなったのだから、いつかは渡海するまでの信仰の高みの境地に至りたいとは漠然とは考えてはいた。

がただそれは61歳の今はまだ到底無理だった。

渡海上人の中には18歳という若齢の人もいるが、80代になってからという人もいる。

「もう少し、待ってほしいと言い」何人かの人にはその言葉を伝えたのだが、人々の期待、熱狂ぶりは金光坊の思惑をはるかにすざまじく、もし自分が「渡海しない」などと口走ろうものなら、世間では大騒動が起き、身の上にどのような危害を加えられるかと思うと、とても口に出せなかった。

自分一人なら世間の人から疎まれようと、蔑まれようと我慢はできるが、自分の行動で「観音信仰」に疑いや瑕が生じることになったら、と思うととてもいたたまれなかったのだ。
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 2012_10_28


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