山の辺の道 狭井川付近

Category: 奈良   Tags: 狭井川  

檜原神社を過ぎると、看板がなければ見過ごしそうな細い川に出会います。

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こんな小さい川なのですが、万葉集には幾つかこの川を詠んだ歌があり歌碑も立っています。

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「葦原の しけしき小屋に 菅畳 いやさや敷きて わが二人ねし」

言葉通り、二人で荒れ果てた小屋で萱の上で寝たんだなぁ~、(あの頃は大変だったよね)という御歌

おのろけを聞かされるようで「だからそれがどうしたの」いう気になりますが

詠ったのは神武天皇で、妻の伊須気余理比較売と一緒になったときのことを思い出してという歌。

神武天皇は苦労に苦労を重ね大和の地に辿りいたので、そういう粗末な場所に寝る機会もあったのでしょう。

この歌を作った頃はもう立派な宮(かしはらの宮)に移り住んでおり、昔を振り返ったんでしょうね。

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「味酒 三輪の山 あおによし 奈良の山の 山の間に い隠るまで 道の隈 い積もるまでに つばらにも 見つつ行かんを しばしばも 見放けむ山を 心なく雲の 隠さふべや」

なつかしい三輪山 その姿が奈良の山々に隠れてしまうまで 来た道の曲がり角がいくつも積もり重なるまで見ていたいのに 雲がそれを隠してしまう、なんと心ないことでしょう(長く見ていたいから隠さないで!)

という額田王の歌。

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この歌を作った当時は「白村江の戦い」で唐・新羅連合軍に破れ、敵の来襲に備えるため、飛鳥の都を放棄しなければなりませんでした。

遠くの近江の大津に遷都することになったのです。

逃げる途中で大和の守護神である三輪山に別れをつげて、先の安全を祈りました。

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額田王はその一行に加わっていたのでしょう。

額田王は鏡王の子、斎明天皇に仕え、天武天皇(その頃はまだ大海人皇子)との間に十市皇女をもうけて、その後天智天皇の後宮に入りました。

教科書にのっている「あかねさす むらさきのゆき しめのゆき のもりはみずや きみがそでふる」

は天智天皇のお妃になった後、元夫の大海人皇子との間でかわされた歌。



波乱に満ちた生涯でしたが、才色兼備という言葉が文字通り当てはまる女性で「万葉の才媛」と呼ばれました。

横道にずれましたが、この狭井川のほとりでは「ササユリ」が群生しており(神事用に育てている場所もある)大神神社と狭井神社の花鎮祭に、奈良市にある率川神社の神饌に使用されます。

これから訪ねる狭井神社は花鎮社と風雅な名前で知られている神社です

(このブログはこの頃神社ばっかりだよ~、犬なんてどこにも居ないよ、という方ごめんなさい)

三輪の里で飼われていた番犬

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その家の前の流れ

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ササユリではないけれど、三輪の里にある椿(山茶花?)

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Author:せれまま
犬たちと暮らす会社員。
アクティブ、アウトドアな犬種たちと、大好きな奈良・京都の寺院。折り合いをつけながら一病息災を模索中

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